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  【12月18日 「おがる石」めざして地域探検隊が行く】

 3年生の総合的な学習の時間に,2時間目から4時間目まで,地域を探検してきました。校長先生のお話の後,早速,学校近くの松窓乙二(しょうそうおつに)の句碑の見学をしました。松窓乙二は,江戸時代(化政時代)の白石の生んだ俳人です。句碑には,次の句が紹介されています。
 『鶴などは としよるものを はるの山』
 O先生の説明をしっかり聞いたり,メモしたりしていました。

 場所を少し移動して,世良修蔵のお墓にも行きました。世良修蔵は,幕末の長州藩士の一人で,左下のお墓は共にやってきた長州藩士勝見善太郎,松野儀助らのものです。下の道路に下りてきて,メモしたりする姿が見られました。

 その後,「おがる石」をめざして移動しました。
 しばらく歩くと,諏訪神社に着きました。赤い鳥居のすぐ脇には「おがる石」の説明があり,鳥居の奥の方には,目的の「おがる石」が祭られていました。ここでも,O先生の話をしっかり聞く3年生たちでした。

 不思議な「おがる石」を間近で見学し,書きにくいながらも,姿勢を工夫してメモする子供たちでした。
 さて,その「おがる石」ですが,その説明を,掲示板から引用して写真の下に書きます。


     伝説「おがる石」
 通称「おがる石(成長するいし)」とよんでいる諏訪神社に古くから御神体としてまつられていた,巨大な円柱形自然石でもとは社殿の中にあった。
 伝説では昔,菅生田の百姓がお伊勢様と信州のお諏訪様に参詣しての帰り路,わらじの間にはさまった小石がこのように巨大な姿に成長し,それとともに自分の家も七つの倉が建つほど栄え,菅生田長者と呼ばれたという。細石が巌になるという国歌「君が代」に歌われた古代日本人の思想が現れている。
        現在高さ約2メートル